東大和市の見どころ

*戦災遺跡 旧日立航空機株式会社変電所

 この変電所は1938年(昭和13年)に東京瓦斯電気工業株式会社として建てられ、その後日立航空機株式会社立川工場と名前を変え戦後も一部の工場は存続し、1993年(平成5年)まで使用されました。日立航空機株式会社立川工場は陸軍航空機のエンジン工場ということもあり、1945年2月から3回にわたり艦載機のグラマン・ヘルキャット戦闘機、カーチスヘルダイバー爆撃機やB29爆撃機の空襲により、工場の従業員、動員学生、周辺住民合わせて111名の戦死者が出るなど、57万坪の工場はほぼ壊滅いたしました。

 特に2月17日の初空襲では房総半島沖の空母母艦から50機以上の戦闘機や爆撃機により78名の尊い命が犠牲になりました。

2回目は4月19日硫黄島から複数のP51ムスタングによる空襲があり変電所南側の側面の弾痕はその時のものと思われます。

また3回目にはB29爆撃機101機で空が覆われ、1800発余りの爆弾が投下され、この時の爆撃で工場の約80%は壊滅しました。

これらのアメリカ軍の空襲で工場のほとんどが破壊されるなかで奇跡的に爆弾の直撃を受けずに残ったのがこの変電所です。もちろん窓枠や扉などは爆風で吹っ飛び、壁面には爆弾の破片による無数のクレーター状の穴が今でも見ることができます。

 この変電所はその後再建された平和産業の工場に、外壁に刻まれた生々しい爆撃の傷跡をそのままの状態で平成5年まで電気をお送り続けました。無数の弾痕がある外壁は、当時の攻撃のすさまじさを教えてくれるとともに、戦争の怖さや悲惨さを垣間見ることができます。

 (重要性)・軍需工場として昭和13年建設当時のもの・被弾の跡がそのままの残っている・内部の変電設備も当時のもの

 この全国的にも極めて貴重な戦災変電所を、東大和市の指定文化財として永久に保存するとともに、戦争の悲惨さを後世に伝え、世界の恒久平和を訴えてまいります。

 是非、戦争の空襲により多くの尊い命が犠牲になったことを、誰よりも雄弁に物語ってくれるこの変電所直接見ていただくとともに、平和の尊さや素晴らしさを感じていただければ幸いです。

    場所:都立東大和南公園内(西武線・多摩モノレールの玉川上水駅より5分)

【施設公開中】毎週水曜日及び日曜日 10時30分~16時 予約不要(無料)